ポリフォニックな続きの夢

 

 

はじめに

 

上手に忘れていたのに、想い出してしまった人。

この一年、片時も忘れられない日々を送った人。

現役で拾えず、悔しい思いを抱えて過ごした人。

初めて参加しようとしてくれた、あのユニットに興味を持ってくれた人。

 

ありがとう。

 

 

 

ミッシングリンクなハートライン

 

あの日から約一年が経ちました。

私はあれから今日まで過ごし、これを今読んでいるあなたにまず聞きたいことがあります。

 

あのユニットのいない一年間はどうでしたか?

 

真っ当には推すことが出来なくなり、当時あの場に居た大勢の人がそれぞれ選択した道を来たのだと思いますが、私にとってあのユニットのない生活は想像以上に苦しい日々でした。

 

運命の出会いだったんです。

心の底からついて行きたい存在だったんです。

あの奇跡の様な関係性が好きだったんです。

この先何十年待ってもこんな気持ちで推せるユニットが生まれるわけないんです。

1から10まで何もかもが大好きだったんです。

 

 
 

『アイドル』と『物語』

 

この一年で変わらず単推しを貫いた人、メンバー内で推し変をした人、全く別の現場に通うようになった人、いろいろとあると思いますが、私はというと赤色の現場をメインに通う日々を送りました。

HOMEツアー仙台、聖地と呼ばれる場所で開催されたツアーファイナルにて、6年間涙を堪え続けたセンターの口からとある言葉が零れました。

 

「解散したら、お前らどうせ他の現場に行くんだろ!!」

 

皮肉は籠っていても本気で言った訳では無いだろうし、こんなMC中の一幕をいつまでも気にしてる人もそう多くは居ないだろうと思います。

それでも私には突き刺さり、心に大穴が空きました。

毎晩寝る前に思い出しては息が苦しくなりました。

信頼の推しに対してこんな言い方をするのは気が引けるのですが、終わりゆく現場から生まれるものとしては「呪い」としか思えない言葉です。

あの言葉を真に受け過ぎた私から、今彼女たちから離れてしまった人に言いたいことがあります。

 

「あなた達はあのユニットを継続させる事が出来なかっただけでなく、その先の未来までも潰す気ですか?」

 

と、さすがにこれはめちゃくちゃ過ぎるし冗談なのですが…そんなことを考えてしまう程に私にとっては刺さる出来事だったのです。

HOMEツアーを通じて彼女たちのファンが増えたのは間違いなく、ライブ現場の少ない今となってはその層+‪αが離れてしまうのも仕方のないことだと考えます。

では何故HOMEという場に多くのファンが集まったのか、理由は単純明快で彼女たちは『Wake Up, Girls!』という基盤において『アイドル』であったからです。

ではそのアイドルの定義は何かと問われたとき、私はワグナーの顔付きになってドヤ顔でお答えしますが、それは『物語』です。

HOMEという空間で生まれたその物語こそが、解散発表時点では幕イベを埋められなかったユニットが、SSAでファイナルライブを行うまでに至った所以であると言えます。

 

 

 

演出/偶発 されたパレード

 

HOMEツアー各所において、作り手側が用意したシナリオというものは存在しました。

映像作品として残っているところで例を挙げると、PartⅠの『花は咲く』をバックに、解散する彼女たちのこれまでの活動を讃えるような内容の映像が流れる場面がありますが、率直な感想として明らかに大人の事情が絡むであろう終わらせ方をしておいてお涙頂戴するのは、雰囲気づくりとしては良いかもしれませんが本質的には腹が立つとしか言えません。

あれを考えたのがメンバーなのか、はたまた制作スタッフ陣なのかは不明ですが、ただ娯楽として作られた物語を観るというのであれば、わざわざライブの為に全国を駆け回らずとも済みます。

北から南まで全公演参加すれば、場合によっては3桁万円に迫る費用が掛かると言われるあのツアーがそれでもファンの心を掴んで着いてこさせたのは、作り手側の意図とは別に進行する彼女たち自身のナチュラルボーンなシナリオが非常に魅力的だったからでしょう。

これは実際にあの日々を送った人にしか伝わらないと思いますし、詳細を一つ一つ掻い摘んで書くことは出来ないのですが、まさにファンと演者の一線を超えた、ファンもその物語の一部であると感じさせるその名の通りの"HOME"という空間が素晴らしかったからです。

現実感の薄れる夢のような日々に対して、「最強のユニット」という、度々メンバーが口にするようになったセリフは実にしっくりくると思います。

あのユニットを形容する上で、彼女たち自身で作り上げた『Polaris』という楽曲が大きな役割を果たすのもドラマチックな話でしょう。

 

 

 

Wake Up, Girls!の亡霊として今伝えること

 

この一年間、ファイナルイヤーと同じようにWUGの曲を聴き、ワグナーとWUGの話を当時と変わらぬようにして、メンバーそれぞれの現場にも足を運ぶ、いわゆる『WUGの亡霊』となった私が今年の総括をするならば、【普通に楽しい】です。

さすがに簡単にまとめすぎなので詳しくお話しすると、残念であり当然でもあるのですが、HOMEツアーのような「劇的さ」はありません。

ですが『Wake Up, Girls!』という制約から解放された彼女たちはそれぞれ伸び伸びと活動しており、メンバー個人を推す身としては大変活き活きとして見えます。

赤推しとして吉岡さんを例にあげますが、やりたかった脚本家としての仕事で一定の評価を得ており、元々多彩さが武器な方なので今の環境は非常に合っていると感じます。

ただ、今の自由さとWUGというユニットから得られる感動を天秤に掛けた時にどちらが勝るのかと聞かれると答えづらいのも事実です。

こればかりは両立し得ない部分として受け入れる他ないのが現状ですが、あの劇的な日々の延長線上にあるのが今の彼女たちの活動であることは間違いなく、彼女たち自身の"物語"は今もなお続いています。

 

それでは、上映会を機にまたここに戻って来ようとしたあなたに問います。

あの日の続きを、もう少しだけみにいきませんか?